- 干支 工藝印刷色紙
(鳥の子紙・タト紙・解説付)
妙心511世・伊深正眼寺
妙心寺開山 関山国師牛飼の図 雪潭紹璞禅師筆
濃陽山中(のうようさんちゅう) 水足り草足る 天使来る時 西觸東觸
妙法山中 霧隠軒雪潭
ここ伊深の山里に隠れ住み、昼は村人の農事を手伝い、牛を曳き、夜は石上に坐禅。聖胎長養、悠々自適の日暮らしである。それを、この山中まで花園法皇の勅使が迎えに来られた。迷惑至極な話で、角があちこち触れて自由にならないように、意に適わぬことになってしまった。
これは、これ以上称賛する言葉が見い出せない時、かえって逆にけなすという禅家特有の表現方法で、「抑下の托上(否定して、うけがう)」と呼ばれる。妙心寺の御開基花園法皇と関山国師に対する筆者、雪潭禅師の報恩謝徳の真情が吐露されている。牛の背に揺られる国師の悠揚迫らぬ後ろ姿は、そのままが雪潭禅師のお姿そのものであろう。
折しも妙心寺は平成21年、関山国師無相大師650年御遠諱の正当を迎え、一派を挙げて大法会を厳修する。大法会の無事圓成と報恩謝徳、興隆仏法の志、ますます流布せんことを願うのみ。
雪潭
紹璞(1801〜1873) 毒草窟、雪老人と号す。紀州牟婁郡の人。10歳、同郡大泰寺に入り、12歳、桐岳のもとで出家す。18歳、諸方を遍参して美濃の慈恩寺の棠林に師事、棠林の加治田の龍福寺、さらに瑞龍の天沢僧堂に移幢するに従い、辛参苦修、ついに印記を受く。受業寺の大泰寺に帰り住す。天保12年、天沢僧堂に進み雲衲を接化。弘化4年、伊深の正眼寺に移り僧堂を開き、大いに関山下の宗風を挙揚す。弘化4年、勅を奉じて妙心寺に出世、慶応3年、真如明覚禅師の号を賜る。長良に真福寺を再興して退居。万寧示寂後、再び天沢僧堂に入るも病のため退席す。明治六年示寂。世寿73。禅風壮烈をきわめ「雷雪潭」と称される。
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